奇蹟の体験

やっとの思いの中、教会で御浄霊中、奇蹟の体験

私は、平成26年10月下旬から少し疲れ気味でした。ある日突然、下腹部と腰の辺りに神経が抜けるような低いドーンとした痛みを感じました。そして更に時間が経つにつれて時折ジンジンと我慢できる程度の痛みも始まりました。

この痛みは、四十数年程前に、お腹の中の胎児により坐骨神経が圧迫され、とても苦しんだ昔の事を思い出しました。正に今回同じ痛みでした。

痛み始めた時は、それほど強くもなく痛まない時もあったので、運転して教会に出来るだけ御参拝をさせて頂き、御浄霊を頂いて、痛みの御浄化を乗り越えられるようにと、大光明様、明主様にお祈りしました。

痛みは、日毎に回数が増え、更に一日中ほとんど痛むようになりました。ドーンとする神経の痛みばかりではなく、強かったり弱かったりする痛みも増えました。痛み始めは身体の下腹の前が中心でしたが、次に右の盲腸の辺りへと移り、そして右側面へと痛みは横に移動しました。

身体の深層深部が痛いのです。横になっていて寝返りをしようとする時、腰や下腹をほんのわずか、数センチ動かしても激痛がはしり顔が歪むほどでした

発病後5日目の朝です。今度は右側ではなく、左側の下腹部に電気が走りまわるような痛みで目が覚めました。空腹感から牛乳を持って来てもらい、飲みきってお手洗いに行こうと上半身を起こした途端、サァーっと頭の血が下がり、牛乳は激痛で吐き、目がまわり意識がだんだん薄れていきました。とっさに私は重症になったと判断して枕元の携帯電話で先生に連絡させて頂きました。

そして、御守護願いを先生のお参りと同じ時間に寝たままの姿勢で心を合わせお祈りさせて頂きました。この時のことは意識が朦朧としていてよく覚えていませんが、その後時間が経つにつれて、頭の意識が少しずつはっきりしてきたことは覚えています。

それから5時間くらい経った時です。今までにないビリビリ、ジンジンと電気が身体に走り、更に今度は内臓の壁を削ぎ落としているような痛みが加わりましたからたまりません。私は、自然に口から「天津祝詞」、「善言讃詞」をお唱えし、「明主様、助けて下さい。お浄めには感謝しますが、激痛には御守護をお願いします」とひたすらお祈りを繰り返し、自己浄霊をずっとさせて頂きました。それ以外はその時のことはあまりの痛さでよく覚えていません。

その翌日には、ご多忙の中を先生が自宅に御浄霊に来て下さいました。少しずつ激痛の回数は減りましたが、まだまだ痛む時もありました。それから、「明日には、何とか教会へお参りさせて頂きたい」という気持ちが湧いてきました。

そして次の日、教会へ御参拝、御浄霊をとの思いで何とか主人の運転でお参りが許されました。その日の午後には病院へ寄る予定でした。

すると、教会で不思議な事が起きました。御浄霊を礼拝堂で頂いていた時のことです。後ろを向いて御浄霊を頂いている最中に、ポーンと下腹部にボールのような物がスーッと入り、その丸い物は深層深部辺りでジュワジュワと音が聞こえるかのように身体の激痛に融合し、溶け合っていくのがはっきりとわかりました。

これは、何とも表現し難い癒しでした。ボールの玉のような物は、かつて私が経験した事のない、かなり強い癒す力と暖かさがありました。その後、次第に身体中がジワーっと暖かく癒されてきました。御浄霊を頂き終える頃には、土色だった顔色から赤みがさしてきて、気持ちも明るくなっていました。まさに御守護の賜物と尽きることのない感謝が溢れてきました。

この時から電気が走る痛みと、内臓の内側を削られる痛みはなくなりました。それから、医者に行きましたが、すっかり顔色も良くなり痛みの強さは変化していました。

日毎に数種類の痛みは暖慢に、僅かずつ減りました。そして年末には元気にならせて頂き、家族と共に新年を迎えることができ有り難く感謝申し上げます。

10月の感謝祭は、私の浄化の始まる数日前でした。「一に感謝、2に感謝。3、4でとまって5に感謝」と、ある方からお話を聞きました。これを辛い激痛の最中に思い出し、マイナス、否定的にならない感謝の気持ちを持ち続ける自分でいました。

大光明様、明主様、有り難うございました。光守様、いつも深いお祈りを有り難うございます。先生、ありがとうございました。教会の皆様、御浄霊やお祈り、励ましの言葉をかけて下さり、そして、グループの皆様のご協力に感謝します。本当に有り難うございました。

浜松教会所属信徒